【徒然】人材の市場価値という考え方に感じる違和感
今日は構成も気にせずつらつらと書きます。
自分は今まで当たり前に人材の「市場価値」という言葉を使ってきたけど、最近、その考え方に違和感を抱くようになりました。
なぜかというと、市場価値、という考え方自体が「労働者」であることを前提にしている、と気づいたからです。
市場価値という考えは、資本家(経営者)である、という選択肢を最初から捨てています。
自分は将来的に経営者でありたい、という気持ちが大きいです。
なのでどうしたら優秀な経営者になれるのか?を考えてみたりするのですが、巷でよく言われているような「市場価値」の高い人間が優秀な経営者たり得るとはどうも思えないのです。
まず、市場価値、という言葉、考え方は、常に誰かから評価されることを前提にしています。
より良い評価をもらいサラリーを高めようという考えです。
でも経営者の所得は他人からの評価で決まりません。
自分の経営の結果で全てが決まります。
投資家からは評価されるでしょうけど、あくまで結果を評価されるのでやはり所得を決めるのは結果です。
なので、経営者という立場で考えると、「市場価値」という概念は存在しないはずなんです。これが、私が「市場価値」という考え方が「労働者」を前提にしていると考える理由です。
また巷でよく言われている「市場価値の高い人材」は、英語が話せたり、駐在経験があったり、転職を複数回経験していて掛け算のキャリアがあったりだと思います。
これらの条件は優秀な経営者になる条件とイコールでしょうか?
優秀な経営者であるにはどんな素養が必要か?について、まあいろいろ意見はありますが、私の中で確定的なのは、
・やり抜く力がある(GRIT)
・どんな方法でも、どんな形でも、必ず結果を出す
・特定分野の深い知識と洞察
の3つです。
こう考える理由はここでは割愛しますが、上記3つが優秀な経営者である素養である場合、市場価値の高い人材の用件とは一致しないですね。
たぶん、英語が喋れなくて、1会社しか努めた経験がなく、ずっと国内勤務の人でも、上記3つの用件があれば、経営者として成功して、そこらへんのサラリーマンなんかよりよっぽど稼ぐんじゃないでしょうか。
そう考えると、やはり世間一般的に言われている「市場価値」という言葉は労働者のためのものですし、サラリーマンとして市場価値を高めようとしている人は、実に小さなことに力を注いでいるように思えます。
みんな所得をできる限り高くするために英語を勉強したり、会計を勉強したり、複数回転職して必死に掛け算のキャリアを作りますが、それらは全て等差級数的にしか増えない所得のグラフの傾きをちょっと大きくするだけに過ぎないです。
多大な時間を使ってちょこっと傾きを大きくして得意になっている側で、資本家が等比級数的に所得を増やすんですから、本当に、論点ズレです。
そんなこんなで市場価値、という考え方自体なんかしょうもないな。。。とおもってしまったのと、自分のキャリア形成も市場価値にフォーカスを当てた労働者的なキャリア形成ではなかったか?とちょっと不安になってきました。
ただまあ、勝算
はまだたくさんあると思っています。
これからも考えることはいろいろありそうですが、業界選択、って結構重要になってきそうですね。